「みーまんてぃ うたびみそーり」(見守ってください)と、オバアたちが祈りの最後に添えることばは、何ともいえぬ美しい響きをもっている。
嬉しいとき悲しいとき、祝い事があったとき困ったとき、とにもかくにもオバアたちは手をすり合わせて一心に祈る。その丸みを帯びた背はやわらかく、慈しみに充ちている。
ぶつぶつとつぶやきながら祈りを捧げているのは、台所の隅に祀(まつ)られた「ヒヌカン」(火の神)であり、仏ダンに祀られた「トートーメー」(位牌=祖霊)である。
何を唱えているのであろうか。何を祈っているのであろうか。祈りを捧げているヒヌカンとはいったい、どのような神さまなのであろうか。その本質は、実のところよくわかっていないというのが正直なところではないだろうか。
そこで、私たちの祖先が延々として祈りを捧げてきた「ヒヌカン」について、オバアたちの祈りの世界を通してみていくことにする。
一回目である今回は、ヒヌカン信仰の起源ともなったというべき、古代沖縄人の「太陽(ティダ)が穴(アナ)」によせた素朴な思いを考えてみたいと思う。
日ごとにあらわれ、あまねく世を照らす朝明けの太陽は、「東の穴」を出て、太陽の道を昇ってくると私たちのはるかなる祖先・古代沖縄人は考えた。そして、太陽の出てくる海の彼方の水平線の向こうにある東の穴のことを「太陽が穴」と名づけた。
その太陽の穴こそが、神のいますところであり、古代沖縄人が思い描き、憧憬した理想郷"ニライカナイ"の存在する場所を示し、精霊みなぎるところだと信じた。命をはぐくむ火や水も、日々の糧となる五穀も太陽が穴からもたらされる大いなる恵みだとして、日々心よりの祈りを捧げた。その祈りこそ、沖縄人の祈りの世界の原点ともいうべきものとなった。
すべての生命の源である「太陽が穴」から昇りくる太陽に、限りない神性を認め、祈りを捧げてきた人びとの姿こそ、今に祈るオバアたちの原始の姿なのである。
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