2008年2月アーカイブ
沖縄の石獅子で、十五世紀に製作されたと考えられているもので、首里城の瑞泉門・歓会門の一対の石獅子、玉陵の東西の石彫獅子、末吉宮の一対の石獅子、浦添ようどれの左右一対の石獅子などが知られている。ただ残念なことに、今日目にすることができるのは、一部修復された玉陵の東西の石彫獅子、末吉宮の石獅子一体、浦添ようどれの左側の石獅子のみである。また、ほぼ同時代の製作であろうと推定されている獅子像としては、レリーフ(浮き彫り)がある。玉陵の墓室内の石棺の台座の獅子像、円覚寺の放生橋の獅子像、浦添ようどれの石厨子の獅子などがある。
いずれも製作者は謎のままであるが、このような墓陵や寺社に設置された石獅子は、聖なる地を護るための「守護神」だと観念されている。当然ながら、時の権力者が自らの権威を誇示するための象徴としての意味合いも込められていたであろうことは言をまたない。
墓の袖(そで)に石筆(せきひつ)を立てて、その上に獅子像を設置するのは中国人の墓制に見られる(『沖縄の祭祀と信仰』・平敷令治)という。玉陵の東西の石彫獅子の設置は、まさに中国の墓制に倣(なら)ったものだと言えよう。また、中国の獅子像は、貴族の墓陵や仏寺を護る「守護神」として設置されているのだという。これらのことを考え合わせると、沖縄の石獅子造立の習俗は、中国から伝えられたものだということが理解できる。とは言っても、石獅子造立の習俗は、当初王家を中心とした貴族層に受容されたにすぎない。
権力を持たない民衆にとって、権威を示す必要もなかったであろうし、墓を持たない人びとにはそれを守護する必要もなかったからである。しかしながら、獅子像そのものは、その後に村々で製作されることになる「村獅子」に受け継がれていくことになる。
沖縄人は、一見すると何の変哲もない自然石(岩石)を崇拝するという古俗を、今なお頑に守り続けている。 「ビジュル」(霊石)がそうであるし、「ヒヌカン」(火の神)ももとをただせば自然石を並べたものであった。古式のウコール(拝所などに見られる)も石を削って造られていたし、「石敢當」も本来は石造りであった。さらに言えば、「ヒンプン」も石を積みあげたものが見られるし、「シーサー」も村獅子に限って見ればほとんどが石造りである。 自然石に超自然的な力を感じ、神秘的で不思議な力を持つと信じて信仰するというのは、古代より受け継がれてきた沖縄人のDNA(遺伝子)と言えるのかも知れない。 自然石の持つ力は、時に悪鬼・悪霊などの侵入を阻止し、自分たちを守ってくれると信じた。また時には、その力によって五穀豊穣をもたらし、子孫を繁栄させてくれると信じた。そして、共同体である村々を守護してくれると信じたのである。 それだからこそ、自然の石に「石敢當」と刻み込んだのも、「獅子像」を彫り込んだのも信仰の妨げにはならなかった。いやむしろ、石にもともと具備している超自然的な力に新たな霊力が加わり、いよいよ強力になると考えたのだろう。そして、沖縄人の信仰生活に見事に溶け込み、愛され続けてきたのであろう。 今回から数回にわたり、石信仰の中でも沖縄人の心によほどにフィットしたと思われる「シーサー」について述べていくことにする。
数はそれほど多くはないものの、寺や神社の発行するフーフダ(符札)を門の左右、屋敷の四方に取り付けている家がある。家・屋敷に邪悪なものの侵入を防ぎ、福を招き入れる呪句(まじなう言葉)が書かれた木製や紙製のお札のことを、沖縄では「フーフダ」という。護符や神符、お守りの仲間である。
一般的には門の左右、屋敷の四方に取り付けるのだが、火の神や中柱に取り付けたのも見られる。
本連載でも再三触れたように、沖縄では「ジョウ」(門)は、人の出入りする場所であると同時に、魔も出入りする場所だと古来より信じられてきた。それだから、ジョウの左右にフーフダを取り付け、邪悪なものの侵入を阻止するという考え方は分かりやすい。一方の屋敷の四方はどうだろうか。古い民家に見られる屋敷囲いは、石を積み回すか、古木大木が生い茂っているのが多い。これなどは、屋敷の境界を示すと同時に自然災害を防ぐ目的があるとされているのだが、民俗的な観点から考えると、やはり邪悪なものから家・屋敷を防御する意味が含まれているのであろう。
それでは、フーフダに書かれている呪句を見てみよう。発行する寺や神社によって異なるのだが、門の左右に取り付けるフーフダは、総じて神仏の加護によって災厄から家・屋敷を守り、福を招来するという趣旨のことが記されている。屋敷の四方に取り付けるフーフダは、方位と四天王名が記されている。四天王は、それぞれの方位の守護神とされている。
